レモン哀歌

あなたはレモンを待っていた

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孤独

世の中にこういうものがある。それが本当に…

何と言うか。

この風に何かに胸を押さえられたような感じがしたのは久しぶりだ。自分はずっと孤独でいたのかしらと、そう問いながら、そうではなかったみたいとまた何かが浮かべ上がった。自分はいつだって話し相手があったから、これを非常に難しいことだと思い、今までこれをこの上なく幸せと看做した。ここで満足するにはいかないのだろうか?時々、私が振り返ると、彼らも、ずっと遠くに見えた。今の私は図書館にいて、イヤホンに『うさぎドロップ』のサウンドトラックが流れて、突然自分がものすごく脆いと感じて、いつにでも倒れそうで、何か支えるものがなさそうで、すぐにでも泣き出しそうになった。従来、自分がフリークだという事実にまともに目を向けなかった。変な人になるのを楽しんでいて、正常な人を装うことに疲れていて、でもこの方こそ私を一番孤独の味わいを知らせるのだ。周囲に人が座ってて、けど実際にここいるのは私一人だけで、私一人何かを書いている背中だけが存在している。人はお互いに慰めることしかできないのかしら?いつから始まったんだろう?中2?アニメを見始めた頃だった。二次元が満ち溢れられ充実な世界を私にくれたけど、その同時にまた一つの世界を私から奪った。この世には全てを手に入れることが根っからできない人がいる。表には何もかも持っていたわりには、心に無知や自己欺瞞が満ちている。その度に、私が真の現実を直視させられるこの時こそ、抗えなく、否定できなく私は必ず自らそこへ飛び込む、ぞっと飛び込む、走って飛び込む!

ある文を喋っている時、たくさんの哀傷を見たと私は思うわりに、他の人は何一つも見えていなかった。全身こわばって悲しみの液体に横たわっているように私はなったみたいだ。この感じがお気に召しているのでは?哀傷を書き下ろして、これらを具現化することが。こんな時にひたすら人を頼りにして済ませるわけにか行かない。誰一人でも孤独なんだ。別人が君の孤独を見えていないんだ。見ろうともしないんだ。それを知ってるのでは?

もう外には抜け出したくはない。この感じが結構気に入っているんだ。一度しか授業を受けたことのない哲学の先生が「本当のいい作品は全て思い出の中で完成された」「人は平静な状態しか進むことが出来ない」と言った。さて今時、私が平静なのだと言ってもよいのだろうか?先日私は「今までにない平静を感じた」で自分を欺いた。はじめから平静なんかじゃなかった。慌てて、狂おしいとでも言えるほど平静じゃなかった。このような自己欺瞞は既に私の慣用手段となった。ずっとそこにいる何かが見えなくて、何かが聞こえないふりをして、自分の欠陥から、自分の卑しい本性から、過ち、無知、不完全、全ての事実から逃げろうとした。ずっと幸せだと思い込んで、平気な様子で偽笑をして、自意識過剰に装って、誠実に自分のいびつを認める反面それがよかったと思って、心の中曲がれた声を奉仕し、祭り、今でも自分が正しいと思い込んでいる。でも私はもともとそうなのよ?私だってしょうがないわよ?

孤独を愛してる。今の私ならそれが言える。せめて自分はやっと自分の一番深いところを触ることができたみたいだ。

日記20140917

 
 
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