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你好,是我呀。

私の恋は、花火だ。

今年の隅田川花火大会に行きました。花火大会というのはアニメによく出てくるもので、珍しくもなくて、大体のイメージはついています。でも「隅田川」という響きはなんだか特別なものに聴こえてくるのは、やはり中学時代でよく通ったゲームセンターのリズムゲームで聞いた『隅田川夏恋歌』だからだと思います。ボーカロイドの歌で歌詞が全然聞き取れないけれど、その打ち上げ花火みたいな重低音が何度も何度も胸を打って、男の子の後ろで下駄を引きずりながら、浴衣の帯を引っ張る女の子の姿を何度も想像させてきました。なんてベタで王道なシーンだろうと今でも思いますが、せめて歌の中でも、頭の中でも、儚い夢は見させて欲しいものです。

この夏は私にとっては別れの夏になるはずだったが、そうなりませんでした。実感はどうしても湧きませんでした。意識的に回避しているからでしょうか、そもそもそんなに繋がりがないからでしょうか、関心とやら失望とやら感情の波が一つも感じないほど、日本に未練は残っていないと思いました。昔なら、誰かに最後に一度背中を見せる瞬間に、私の涙はポロポロ落ちてきたのでしょう。なのに何も起こらなかったのです。

結局、花火はさだこと二人で見に行きました。男の人と浴衣を着ていくのではなくて、二人は原宿系と職場の格好で行きました。電車は意外に空いていたのは、遅刻はそんなにしない日本だからでしょう。

見渡す限り人しかない大盛況で、さすがに90万人の迫力はありました。団扇を振ったり話したりしていた橋へ繋ぐ列は全く動いていませんでした。道端で座って酒を飲んでいた人。大声ではしゃいだ人。不良みたいに囲んで突っ立ていた群衆。ストイックな日本とは思えないくらいに非日常な光景でした。どこに向かっているのも知らないまま、人の流れで押して押されて前へ進んでゆき、一回りしてまた駅に戻ってきました。

想像の中では、花火は河川敷で見るものだと思っていて、川辺に行く道はなかなか見つからなかった二人は、花火のパラパラの音に近づこうとしながら、適当な時に角を曲がって分かれ道に入ることにしたのです。

頭上で花火の音が絶えませんでした。なのに、夜空で微かに浮かんで消える赤しか目は捉えらなかったのです。ひたすらに歩くしかありませんでした。

私の性分なら季節外れか地方の小さな花火を見に行ったのが一般的で、あえて有名なスポットを選んだりはしないはずでした。それは行っても人だらけで、汗まみれで、きっといい思い出にならないだろうと分かっているからです。でも今回はさすがに焦ったのでしょうか。青春の気分を味わいたかったでしょうか。叶わなかった誰かの誘いを噛み締めたかったのでしょうか。自分にもよく分かりません。

花火を見に行った一週間くらい前に、私は、好きな人ができました。

恋をしている女の子の脳みそは不思議なものでね、どんなに身も蓋もない話でも想像してしまうものです。例えば、あの人と浴衣を着てこの人ごみの中でキョロキョロしたり、次の角でぶつかり合って飲みに誘ってくださったりすることとか。灰色の前髪の後ろで透けて見える優しい眼差しとか。腕組みして花火を見つめる横顔とか。帯できつく締められた腰とか。そういう身も頭もない妄想だけが得意な、21歳です。でもそれが何次元も先の程遠い話です。せめてこの身で、この人生では叶わないことです。

私とあの人の間に立ちはだかっているものは、たかが時間で埋めきれないものです。(2016年8月12日)私は、遅れました。生き遅れて、人生を経験し遅れて、知識を勉強し遅れて、あの人とは、それは次元の差であり、奥行を持つ時空の差であり、あの人と何一つ接点のない私は、近づこうとする理由さえも好きだという一つでしかないほど無力でした。この花火のように、あんなに綺麗に夜空に咲いているのに、自分はビルの隙間から、遠く見渡るしかできなくて、その光は遠い空まで染渡っていて、その轟も遠くの街まで響き渡っていて、その何分の一の熱しか受け取るしかできない私は、どうして、どうしてここにいるのでしょうか。年上だからダメというのですか。違います。私は人としてまだ全然なりきっていないからです。ああ、苦しかった。

あの夜の花火のように、私の恋は瞬く散って、終わってしまったのです。

2016年12月10日補足

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