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你好,是我呀。

ここ最近三日も北京のハズレの方に行きました。遠かったもんです。携帯が記録する歩数は毎日一万歩を超えていました。何をしにこんなに大変な目に遭わなきゃいけないかというと、講座を聴きに行きました。

昔から編集になりたかったです。多分出発点はすごく浅はかなもので、アニメの中の編集の仕事を見て憧れていたからでしょう。でももっと昔の時に、例えば中学生の時に、私はマンガ家になりたかったのです。子供の時から一日も欠かさず絵をばかり描いてて、好きな漫画を描かせてくれるいい先生にも何人会って、多分そのまま私が前に進むとごく自然になれるのは漫画家だろうと思って、ただ漠然と「夢は漫画家」ということになりました。でも正直に言うとあの時から絵に対する怠惰が芽生えていて、何を言われても絶対に美術特長生にはないたくなかったと思い始め、文化成績だけで高校に入って、意外にも理系が強いことを意識してそれを活かして言語を勉強する大学に入りました。

あーあ、そういう昔話を思い出すと感傷的になりやすいですね。もしあの時続けてきたのなら、今やこの国の社会環境において漫画家になれるルートはちゃんと立ち上げられましたから、それをあらかじめ知っていたら、そう簡単に諦めなかったのかもしれません。

で今の卒業論文と大学院の研究計画書は漫画に関わるものです。理系を使っていい大学に入って、結局ここに戻りました。

趣味は見え見えですね。

でも、実際に私は本当に漫画というものを何冊も読んでいなかったんですよ、本当はね。

初日の講座は漫画編集に関わるものです。同行の子もこの職業に興味が沸いてきて、帰る道でずっとそれを喋ってました。こういう思いはずっと頭の中にはあったけれども、やっぱり自分の浅い読む歴や育てられた文化環境のせいで意識的に距離を引いています。自分には本当に一人前の編集になれるのかなって思って、それじゃあいつまでたっても…という自己否定はやめましょう。この仕事に対する印象はあまり変わっていないものの、現場が見れて楽しかったです。

次に行ったのが二日後。初日のおしゃれな聴講した漫画や編集志望の学生とは違って、今回は読書とかするような真面目そうな子が多かったのです。なんというか、二回も同じく、私の重心は通訳の方に置いてあって、通訳の水準や態度に変に気になって、たまに同行の子とツッコミをしてて、「このへんふざけてやってる」とか、「こんなため息つくとゴウ先生に絶対叱られる」とか、「このへん原稿あるっしょ」「この人やっべえめっちゃうまい」とかだらだらと。日本語学部の学生の通癖なんじゃないかなって、自分の職業精神に少し驚きました。

学術的なことになんにも言えなくて、ただ、時々、これって普通に天涯とか贴吧とか見れる分析なんじゃ、なんでも陰謀論に成り過ごせるじゃないか、これって当たり前じゃないのとか、そういう、生意気な感想は確かにありました。同行の子も、文系の研究に不信を持っていることをずっと話を聞いてきて、そういう話を聞くと悲しくなるというか、自分の未来になんの希望もないように見えてくることが怖くなって仕方がありません。発表を聞いていくと、正直に「くそつまらない」と思い始めて、私の想像したものとは全く違うものだなあと感じていました。

もしそこまでだったら多分私の感想は「つまらない」に留まるんじゃないかさえ思うほど、大塚先生の最後の言葉が私の情緒を揺らして長々とその衝撃は収まりませんでした。本当に、大したものです。

あの日はただ講座を聞いて、ご飯食べてさっさと学校に帰って翻訳の宿題をやろうと思ってたんです。結局、それからあの子と延々としゃべり続け、長い長い埃とゴミだらけの帰り道で、トンネルの壁とぶっつけながら進行する大っ嫌いな北京の地下鉄で、したら学校の池の隣で風に吹かれ酒を飲んで、寝室の廊下で日が暮れる色の変化を見つめて喋っていました。

あ、確かにつまらないですね。人は好きなことをするときにしか快楽が得られないこと、それがたとえそれの研究でも、辛いことだってことをずっと前から思い知らされたことじゃないですか。

それで今は先行研究を読む気にもなれない今です。どうせ先生の理論が応用できないんですもの。

で三回目の講座は二回目の具体的に展開して説明になっているようなものです。その三日間のお話の内容が長すぎて記すつもりはありませんが、本当に学術なことがしたいか、それともただ好きにやりたいか、それが彼女はもう答えは出ていて、満足しているように見えますが、私はまだ泥沼の中にはまっています。彼女が漫画に対する愛情は私は絶対達していないし、難しいことも避けたいし、誰が言ったか、これが失敗する人の人間像と聞いたことがある気がします。

やっていることはなんなのか確認して確認して、確認しまくって、それが無意味なことになるのが大半です。もしただ成り過ごしたいなら逃避したいなら絶対そういうことになります。

もう少し考えます。もう時間もないし、答えは見つからないかもしれません。

2017年3月21日 図書館にて

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