レモン哀歌

あなたはレモンを待っていた

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こんな私で、どうやってあの時刻と立ち向かえばいいのでしょう。

近頃ライブを聴きに行きます。しかし残念ながら、私にはそういう音楽を聴いて湧いてくるはずの感情やら心境やらがないのでね、昔のように容易く音楽に揺れられることがもはやできなくなっていると言えます。それを思い出すと少し悲しみます。

年齢が大きくなるにつれ、自分がいろんなものを失いつつあることを意識してしまいます。まさか、何年前の自分こそ持っているものが一番多かったというのですか。これからの人生がそれらを一つずつ捨てていく過程になるというのですか。

例えば、乙女心に自意識過剰。いいえ、失ったというより、まだそれらを失うことが怖くなってきた段階です。私がいままで生きてきた術を、年齢や時代に飲み込まれてしまうことが。痛くもないのに、喚いて喚いて、さも空虚で哀れなように、そうすることで私は自分が特別であると確認できてきました。

二十代にしては、私のほうが随分貧弱な年頃に見えます。

いつも、自分から何かをして、刺激を求め、それで現状を打破すべきものだと信じてきました。授業で習いましがけど、自己探しの旅というやら実は消費を通じて、消費の記号でアイデンティティを作ろうとする過程である、と。あの時は全く理解できていなかったけど、今から思えば、もし本当にいわゆる「記号」があるとすれば、それは本当に「消費」にかかっていると言えるでしょうか。どうなんでしょう。私が欲しがるのは、行動する寸前の「冷酷」、あるいは「意地」なんですよ。多分、それこそ青春、若さ、情熱が成り立つに必要な素質だと、思っています。

それで私は何を求めて前へ進めばいいのでしょうか。ありふれた古臭い言い方ですが、そういう本質をつかむ問いかけを身を持って感じると、それは八方塞がり、

この世の全てから手応えが感じなくなることです。

……

私はいつも、自分がまだまだ上昇すると信じ込まなければなりません。そうです。そうでなくては。私はまだ何も持っていなく、何も失うものがないことを。

これが私が出したぎりぎり前向きの結論です。

 
 
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